撃たれ芸人


 創業十周年を迎える芸能プロダクション『ドアプロ』には、現在二十組近いタレントが所属している。そのうちお笑い芸人の占める割合は八割以上、芸人専門プロダクションと言っても差し支えは無いだろう。
 しかしその芸人たちの中に、いわゆる売れっ子と呼ばれる人間は皆無であった。テレビ番組のレギュラーを持っているのもたったの一組である。それも春の番組改編で番組自体の打ち切りが決定しており、もうじきドアプロ芸人はブラウン管から姿を消すことになっていた。

 その原因は、兎にも角にも所属芸人らが全く面白くないことに尽きる。オーディション形式のネタ見せ番組でも、ドアプロ芸人は最下位争いの常連。地方営業に出ても、会場からは疎らで寂しい反応しか返ってこないことも日常茶飯事であった。昨今のお笑いブーム、流行にさえ乗れば誰でもスターダムにのし上がるチャンスはある筈なのだが、残念ながら所属芸人の全員が全員、ビックウェーブに乗り損ねているどころか、高波に飲まれて溺死しかけていた。

 それに正直なところ、現在の『お笑いブーム』は、芸人の面白さ以上に事務所の力がモノを言う。どんな陳腐な芸だろうと、所属事務所の強力なバックアップがあればメディアへの露出も増え、所詮『一発屋』で終わってしまうとはいえども、芸人たちは一時の夢を見ることができ、事務所は事務所で懸けた労力以上の甘い汁を吸うことができる。
 その点ドアプロはというと、積み重ねた歴史こそ中堅クラスになってきたが、その規模は未だ弱小プロダクションの域を抜け出せていない。所属タレントの給料のみならず、事務所の家賃すら滞納しがちな貧乏体質。そんな状況下でメディア他各方面への働きかけなど行えるわけも無く、対岸の栄光として流れていくお笑いブームを、ただただ指をくわえて見送っていくしかないのが現状であった。

 そんなどん底の状態から巻き返しを期すべく、ドアプロは公開新人オーディションを開催した。現有戦力が使い物にならないのであれば、どこかから即戦力ルーキーを釣り上げてくるしか勝ち残る手は無い。社長・一戸公康が自らのポケットマネーを広告費に回して開かれた今オーディションには、関東一円からお笑い芸人を目指す若者ら二十七組が集まった。世間一般の知名度が無いに等しい零細プロダクションにしては、十分満足できる参加者数である。
 この中からダイヤの原石とは言わないまでも、見せ掛けのガラス玉でも構わないから即市場売買ができる品物を見つけ出さねばならない。一戸は並々ならぬ決意を胸に、審査委員長として夢を追う若人たちの懸命なアピールに目を光らせていた。

『オギャーんでボーン!』
『何言うとんねんドアホー』

「……」

 しかし、所詮は無名プロダクションのオーディション。無駄に集まった参加者の質は、想像していた以上に低かった。小学校の学芸会レベルな漫才から、見ているこちらが痛々しくなるぼやき漫談。同じく審査員を務める先輩芸人たちからも、ため息ばかりが聞こえてくる悲惨な状況であった。

 それでも及第点をつけられる人間も何組かは出てきた。ただ、それもあくまで現在のドアプロ芸人と同等なレベルであり、一戸が望んでいるような即戦力ルーキーはなかなか出てこない。
 セリフの噛みすぎでコントの進行すらままならない二十六組目の演技が終わったところで、一戸はこれまでで一番大きなため息をついた。

「社長……大丈夫ですか?」

 隣に座る、本来は渉外業務担当の専務が語りかけてきた。

「まぁ一応。残すところはあと一人か」
「ハイ。えーと、ピンの方ですね。宮久保啓太……本名ですかな」
「で、どんな芸をやるって書いてあるんだ?」
「そうですねー、ここには『銃火器で撃たれた様子を再現する芸』と書いてありますが」
「撃たれた様子を再現? アレか、松田優作のものまねか?」
「さぁ……とりあえず見れば分かるでしょう。ささ、呼んじゃってちょうだい」

 係員の若手芸人に連れられる形で十二畳の会議室に入ってきたのは、ごくごく普通な二十五歳の青年。髪は茶髪で短く揃えられており、比較的ガッチリとした体系から、一戸は彼に対しスポーツマンタイプの青年だなという第一印象を抱いた。

「二十七番、宮久保啓太、二十五歳、八王子市から来ました! よろしくお願いします!」
「こりゃまた随分ハキハキ答える子が来たねー。でもまぁそこまで硬くならずに、ね」
「ハ、ハイッ!」

 専務の言葉に直立不動で応える宮久保。その姿からは、先程のガチガチに緊張していたコンビと全く同じ雰囲気が醸し出されている。
 こりゃダメだな、早くも諦めムードに突入する一戸。視線こそ目の前の若者に向いているものの、既に頭の中では次なる対応策の検討に入っていた。

「えーと、それじゃあ早速、君の芸を見せてもらおうかな」
「ハ、ハイッ! 二十七番、宮久保啓太、銃に撃たれる芸をやります!」

 そう言って宮久保は着ていたジャケットを脱ぎ、Tシャツ姿になる。

「あ、あの、すみませんが『バーン』って銃で撃つまねをしてもらえないでしょうか?」
「ん、俺?」

 突然の指名に驚く一戸。

「ハイ。片手で銃の形を作って、それでバーンと撃つまねをして下さい」
「ん、こうか……?」

 よく分からないまま宮久保の指示に従い、一戸は銃撃の体制を取る。

「それじゃ、お願いします!」
「あ、あぁ。……『バーン!』」

 少し大げさに手首のスナップを利かせて手銃をぶっ放す一戸。
 これに対して宮久保は、

「ぐっ!!」

 短い呻き声と共に両手で下腹部を押さえ、そのまま受身を取ることなく、固い床へと倒れ込んだ。
 それはまるで、失神して倒れる人間のようにリアルな倒れ方。

「お、おい、大丈夫か!?」

 思わず審査員席を飛び出す一戸。すると宮久保は首を動かすことなく、

「そのまま倒れてる僕に向かって、止めを刺すように何発も銃弾を撃ち込んでください」

 と言ってきた。

「と、止めか……『バン、バン、バン!』」

 再度言われたとおりに銃を撃つ。

「!!」

 宮久保は一戸の銃声に連動しながら、無言で肢体を撥ね散らした。それこそ『ビクンビクン』という擬音がぴったり適合するかのように。

「これは……」

 騒然とするオーディション会場。そのあまりにもリアルすぎる宮久保の形態模写に、見入るどころか目を背ける審査員も現れた。当然のことながら、笑いはどこにも起こらない。

「……」

 一戸も銃撃を止め、足元に転がる宮久保の死体、いやもとい肢体に目線を落としていた。

「しゃ、社長、とりあえずお席へ……」
「あ、あぁ」

 専務の呼びかけで審査員席に戻る一戸。それを見計らって宮久保もムクリと立ち上がり、身体に付いたほこりを払うこともなく、再び先程の直立不動体勢に戻った。

「う、上手いのは確かに上手いと思うんだけどねぇ……」
「だけど、笑いじゃないよな、コレ」
「だな……」

 囁き合う審査員たち。その声は当然、審査委員長・一戸の元にも届いていた。

「社長、これはどうしましょうか……」
「……」

 無言の一戸を見て、専務は宮久保の不合格を確信した。


「で、では宮久保さん、結果はまた後日、電話連絡を差し上げるということで……」
「合格!」
「え?」
「素晴らしい、素晴らしいよ宮久保くん! うちは長年君のような人材を求めていたんだ、合格、文句なしの満点合格!!」
「え、ちょっと、社長!?」

 審査員席を飛び出して宮久保の両手をがっしりと握る一戸に、専務を始め全審査員が驚愕の表情を隠しきれないでいた。

「い、いや、確かにすごい芸だとは思いますけど、これはどう見てもお笑い向きの芸ではないような……」
「何をバカなことを言ってるんだ、これほど面白くて個性的な芸は他に無いだろ? 確かに少々やり過ぎな感はあるけども、このくらいはやらないと、今の飽和しきった業界に風穴を開けることは出来んのだよ」
「いや、少々どころの騒ぎじゃないと思いますが……」
「とにかく、審査委員長の俺が言うんだから合格! こんな十年に一度の逸材、他の事務所に奪われたりして堪るか。宮久保くん、是非ともうち、ドアプロでお笑い界の一等賞を目指してくれないか?」
「ハ、ハイ、喜んで!!」

 熱い抱擁を交わす二人。そんな様子を専務・先輩芸人ら一同は、何か信じられないモノを見ているといった面持ちで、ただただポカンと眺めているのであった。




 こうしてドアプロへ新たに加入した超大物ルーキー・宮久保啓太は、一戸直々のバックアップを受けながら芸能活動を開始した。本来、他の先輩芸人に回される筈であったお笑いライブ出演などの仕事は、スケジュールが許す限り宮久保の元へめいっぱいあてがわれ、テレビのバラエティー番組制作部への働きかけも、過去に例の無い社長主導という形で進められていく。その結果、プロダクション契約から二週間も経たないうちに、宮久保は仕事の数だけで言えば、ドアプロでもっとも忙しい芸人の地位を獲得した。

 しかしそれは手帳に記載された仕事の数だけの話であって、実際のところ宮久保の芸に対する各方面での反応は、オーディションの席で一戸以外の審査員が見せたものと全く変わらない物であった。

「マシンガンを乱射され息絶えるまでの過程を再現しますッ! ……おぶっ!!」
「う、うわぁ……」

 お笑いライブにトップバッターで出演してみれば、百人近い客は全員ドン引き。ライブの雰囲気自体も最悪なモノに変えてしまい、同じ日に出演していた別事務所の芸人から、事務所へ直々に苦情が来るほどの受けの悪さであった。
 またテレビ出演の方も、スタッフ陣へのネタ見せの段階でことごとく断りの報を告げられており、番組収録への参加自体叶わないでいた。

「いや、そこを何とかして頂けないでしょうか!」
「そう言われましても、ちょっとテレビで放送するには難しいネタでして……」

 一戸自らがマネージャーとして、タレント共々プロデューサーに頭を下げるものの、出演不可の決定は覆せないでいた。

「深夜番組なんだから多少無茶な芸でも特に問題ないじゃないですか」
「いや、彼の芸は多少の域を超えていますから……」

 一戸よりも一回りは若そうな男性プロデューサーは、かつて専務が言ったものと全く同じセリフで申し訳なさそうに断りを入れてきた。これでも彼の対応は優しい方で、『もういいから、帰った帰った』と冷たくあしらわれたことも決して少なくは無かった。

「……そうですか、分かりました。こちらもわがままばかり言いまして申し訳ありませんでした」
「い、いえ、そんな、頭を上げてください、本来頭を下げなきゃいけないのはこちらの方なんですから」

 弱小とは雖も一応相手は芸能事務所の最高責任者である。そんな目上の人間に頭を下げられて、プロデューサーはうろたえた様に手を振っていた。

「し……しかしですね、彼、宮久保くんでしたっけ。僕個人の意見としては、その銃に撃たれる芸は、大変素晴らしいモノだと思うんですよ」
「だったら是非、プロデューサーのお力でどうにか出演させて頂けないでしょうか!」
「た、ただ、残念ながらその芸がうちの番組の色とは合致しないので、そればかりはどうしようも……」
「……無理ですか」

 控え室に訪れる重苦しい沈黙。それに耐え切れなくなったプロデューサーは、ある提案を投げ掛けてきた。

「あ、あのですね、宮久保くんの芸は、芸というよりは演技だと思うんですよ。それも非常にレベルの高い」
「演技、ですか?」
「は、はい。なのでそれを生かす為には、うちみたいなバラエティーよりもドラマの側に働きかけた方が良いのではないでしょうか。ちょうど知り合いに現在撮影してる刑事モノのスタッフがおりまして、僕の方から彼に一声かければ、ひょっとすれば何とかなる気もするのですが……」

 無言で腕を組んだまま、その提案に聞き入っている一戸。その様子から『これは首を縦に振るだろうな』とプロデューサーは予想していた。
 しかし。

「折角の良いお話ですけど、今回は遠慮させてもらいます」
「そ、そうですか……」

 プロデューサーはあからさまに驚きの表情を見せた。それは当の本人である宮久保も同じである。

「うちの宮久保の芸を、レベルの高い演技として褒めて頂いたのは大変光栄なことです。ただ、あくまでもうちは、彼を『芸人』として売り出したいんですよ。この芸はきっとお笑い市場で通用する、そんな自信を持っているから、僕は自ら率先してこいつの売り込みに走ってるんです。もう少し、もう少しだけ、己の勘を信じてみたいのです」
「わ、分かりました……」

 そして一戸は宮久保を連れ、毅然とした態度で控え室を後にしていった。

「……何考えてんだ、あの人」

 その後プロデューサーは閉められたドアを見つめながら、一戸の全く解せない思考にしばし頭を悩ませるのであった。


「……社長」

 テレビ局を出て五分ほどが経っただろうか、事務所へと戻るタクシーの中で、宮久保は隣に座る一戸に率直な意見を投げつけた。

「あのプロデューサーの話、まだ芸人を始めて一月にもならない自分が言うのもおこがましいかもしれませんが、アレ、ホントはおいしい話じゃなかったんでしょうか?」
「……」

 無言の一戸。

「社長?」
「……いや、別にいい話ではないぞ。ドラマ出演と言っても、撃たれ芸で出た場合は所詮死体役だ。撃たれ方の良し悪しなんて大して注目されないし、名前だって売れやしない。それにお前、俳優畑でやっていけるほど己の演技力に自信を持っているか?」
「いや、それは……」
「それにお前、最近何か違う芸の練習とかしているらしいが、結局どれも鳴かず飛ばずな感じなんだろ?」
「……ハイ」

 実は宮久保も各方面でのあからさまな受けの無さを痛感しており、密かに『撃たれ芸』以外の芸風を模索していた。だが一戸の言うとおり、今のところ『撃たれ芸』以外にどうにも芽が出そうなモノは見つかっていない。

「だけど案ずるな、お前には撃たれ芸がある。お前の撃たれ芸は、日本中のどの芸人、いや、俳優も含めた全ての人間が決して真似することができない最高のモノだ。今はまだ世間がお前の芸の素晴らしさに気付いてないだけ。周囲の雑音なんか気にするな」

 そして一戸は、宮久保の手を強く握り締めてこう言った。

「お前の芸は天下を取れる。お前の芸は日本一だ!」

 ガンと見開かれた一戸の瞳から、その並々ならぬ決意を窺い知ることができる。演者である宮久保以上に熱の入ったその瞳。堪らず宮久保は目を逸らした。

「どうして俺なんかにそんな……」

 分からない。この壮年より老年に近い男性が何故、己以上に己の芸を見てくれているのか分からない。ちょっとした思い付きで始めただけの、奇抜というか奇妙なこの芸を、まるで自分のことのように必死になって後押ししてくれる理由が分からない。
 しかし宮久保がその問いを投げ掛けるよりも前に、一戸は独り言をつぶやくような形でその答えを口にした。

「素晴らしいとかそれだけの言葉では言い表せないほど、俺はお前の芸に惚れ込んでいるんだ。それこそまるで一目惚れでもしたかのように、俺はお前の撃たれ芸に、人生の全てを賭けてもいいと思ったんだな」
「社長……」
「自信を持て、宮久保! どんな手を使ってでも俺がお前を一流のお笑い芸人に育て上げてやる!」
「ハ、ハイッ!!」

 それは実に根拠のない、一人のオヤジの発言であったが、そこから伝わってきた熱い想いを受け止めた宮久保は、もうしばらくこの男を信じてみようと思うのであった。




 精力的に進められる宮久保のプロモーション活動。『撃たれ芸』を一戸のように受けてくれる人を見つけるためには、より多くの人間にこの芸を披露しなければならない。そのためにはまず、どういう形であろうと宮久保啓太を世間に露出することが必要となり、ライブ出演の機会は今まで以上に増やされ、テレビ出演に関しても、一戸のゴリ押しの成果もあり、エキストラという形ではあるが、チラホラとその顔がブラウン管で流れるようになり始めた。
 こうした地道な努力が功を奏したのか、ライブでも宮久保の芸に対する笑いがごくごく僅かではあるが生まれるようになり、また、念願だったネタ見せ番組出演も、番組収録への参加だけは認められるようになっていった。

 ただ、こうした成果も本当にごくごく僅かなもので、宮久保の知名度は、未だにドアプロ所属の芸人の中でも最下層レベルに位置していた。先に述べたネタ見せ番組も、あくまで収録に呼ばれるようになっただけで、そのネタがテレビで流されたことは未だに無い。注入している労力が、結果として全く現れていないわけである。

 こうなるといくら一戸社長の一押しだと雖も、宮久保一人に全労力をかけている今の体制に対する不満が、事務所内に渦巻き始めた。宮久保本人に対する風当たりも当然厳しくなり、社長の知らないところで陰湿な後輩いじめも起きているという。また、現在ドアプロで唯一顔の売れている芸人が、マネージャー共々ライバル事務所への移籍を水面下で進めていたことが明らかになり、ドアプロは設立十年目の節目にして、かつて無い混乱に陥っていた。

 それでも一戸は、宮久保プッシュをやめようとはしなかった。本日もプロモーション活動の一環として、一戸たちは大阪のとある高級料亭にて一人の男と会食を催していた。

「どうですか、うちの宮久保の芸は」
「いや、どうですかって言われてもなぁ……」

 男の名は桂王次郎。大阪の芸能シーンではありとあらゆる所に顔が利く、関西きっての超大物芸人だ。番組への働きかけが駄目ならば、大御所芸人へと取り付こう。そしてその伝手でお笑い界のスターダムを目指せばいい。そう考えた一戸がセッティングした今回の会食、目的はもちろん宮久保の売り込みである。

「こういう素人受けしにくい通な芸は師匠好みですよね?」
「……玄人受けもしにくいんとちゃいますかね、コレ」
「そ、そんなぁー……」
「社長には昔からお世話になっとりますからね、できる限りの協力はさせてもらいたいんですけど……」

 撃たれ芸を見る度に、桂はなんとも複雑な表情を浮かべた。

「二人の為や思うてハッキリ言わせてもらいますけどね、見てて気持ちのええものやないでしょ、コレ。個人的には嫌いじゃないんやけど、テレビ受けするか言われたらどうにもなぁ」
「そこを桂王次郎師匠ご推薦、みたいな形でお墨付きを頂ければ……」
「なんぼ社長の頼みでもそれは聞けませんわ。わしかて一応事務所のしがらみもあるわけやし」
「そうですか……」

 結局、大阪での売り込みは失敗に終わった。


 東京へと戻る新幹線の中、一戸は焦りを隠しきれないでいた。遠征中も逐一知らされてきた事務所の混乱。その全ての原因が自分にあることは重々自覚している。いい加減に結果を出さなければ、最悪の事態も目に見えてくるだろう。

「……」

 しかし、実は先の桂への売り込みが、彼にできる最後の宮久保バックアップ策であった。それが空振りに終わった今、残された選択肢は二つしかない。
「撃たれ芸を切り捨てるか、会社共々心中するか……」

 撃たれ芸に対する一戸の信頼は未だ揺らいでいない。かといって、もうこれ以上宮久保一人に関わっていたのでは、会社そのものの存続が危うくなる。

「……素人臭くて使いたくなかったんだがな」

 散々悩んだ挙句、一戸は隣の席で熟睡している宮久保を叩き起こした。

「う……社長?」
「宮久保、明日の予定は全てキャンセルだ」
「え、代休か何かですか?」
「いや、別の仕事を入れる。午前三時、事務所入口に集合だ」

 決して仕事とは言いがたい、どうしようもなく素人臭い最後の手段。
 それは……生放送ジャック。




「……よし、今だ」
「ぐぁ!!」

 左胸を銃弾で打ち抜かれた設定で、肢体を揺らす宮久保。

「ハイ、起きて。次はもうちょっと向こうの方でな……、よし、アクション!」
「どぅふ!!」

 今度は下腹部を打ち抜かれ、膝からアスファルトの上に崩れ落ちる。二人は五分ほど前からただひたすら、この撃たれ芸を早朝の路上で行っていた。道行く通勤・通学者から気の毒そうな眼差しで見つめられる宮久保。しかし集めたいのは道行く人々の注目ではない。日本全国の視聴者の注目こそが二人の求める本当のものであった。

「ちょっとあんた等、何やってるんですか!!」

 宮久保と同い年くらいのADが、慌てて建物の中から飛び出してきた。帽子に刺繍されているのは、お馴染みの朝の情報番組のロゴマーク。

「中継に入ったからもう外カメラに映る機会は無いな……よし宮久保、移動だ」
「ハイッ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」

 若いADの制止を聞くことなく、一戸たちは逃げるように、あらかじめ用意しておいた車の方へと走り去っていった。

「次は三十分後に赤坂だ。時間的に厳しいかもしれないが、やれるだけのことはやるぞ」
「ハ、ハイッ!!」

 生放送ジャックと言っても、当然スタジオ内に乗り込む術はない。そんな二人にできることと言えば、朝の情報番組などでスタジオの外を写すカメラに無理やり見切れること。まるで地方から来た修学旅行生らが行うような馬鹿らしい行為を、この二人の大人は、朝の三時から必死になって行っている。全ては撃たれ芸を全国のお茶の間へ配信するために。

「これが終わればひとまず休憩だ。でもゆっくり飯食ってる時間は無いな。またすぐ汐留に戻って来なければ」

 生放送が行われているテレビ局を、西へ東へ駆けずり回る。そういった具合で朝昼晩、一戸たちは一銭にもならない仕事に貴重な時間を費やしていくのであった。

 夜、事務所に戻った二人が最初に見たものは、こめかみに血管を浮き上がらせた専務の姿だった。

「……合計九つの苦情メッセージが届いております。どれからご報告差し上げれば宜しいでしょうか」
「いや、そんなことよりも反応だ。あれだけ公共の電波に乗りまくったんだ、何らかの反響が出てもおかしくない筈」
「……それどころじゃないだろうが!」

 咆える専務など全く意にも介さずに、一戸は電話応対担当のアルバイトに視聴者からの反応を尋ねてみた。しかし彼から告げられた事実は、そんな能天気社長を酷く落胆させるのは十分すぎるモノであった。

「残念ながら今のところ、一般の方からの反応は特に来ていませんねぇ」
「そんな……」

 バタンという音とともに、一戸はガックリと膝をついた。それは宮久保も全く同じ。今日の努力は一体なんだったのか。ただテレビ局に苦情を貰いに行っただけなのか。考えれば考えるほど虚しくなってくる。

「もうしばらくはテレビ局に入ることすらできないな……」
「スマン……宮久保。俺がこんなしょうもないアイデアを考え付いたばっかりに……」

 絶望に明け暮れる電波ジャッカーたち。しかしそんな二人に対し、バイトくんは別の朗報をもたらしてくれた。

「いや、でも電話での反応は無かったものの、ネット上での反響は大したもんですよ」
「ネット上?」
「ハイ。『各局の生放送の背景で、ひたすらぶっ倒れてる訳の分からない男がいる』と、掲示板などでは既に話題になっていますねー」
「ホントか!?」

 一戸は慌ててアルバイトの見ているパソコンのモニタに飛びついた。しかしインターネットに全く疎い彼には、そこで何が展開しているのかは全く理解できなかった。

「もう既にドアプロの宮久保という名前は割れてますねー。ホームページへのアクセスも急増しています」
「い、インターネットでの反響か……」

 よく分からない分野なので、果たしてそれがすごいのか否か判断できない一戸。しかし会社のホームページ管理も勤めるアルバイトの話によれば、ヘタなテレビに出るよりもよっぽど大きな反響だという。

「これで公式サイトで動画配信なんかしたら、恐ろしいことになるだろうなぁー」
「ん、そんなことができるのか?」
「ハイ。ただアクセス集中してサーバーぶっ飛びそうな気もするんですが……」
「よく分からんが気にするな、やれ! こんな千載一遇のチャンス、逃すわけにはいかないんだよ!」

 そして数時間後、ドアプロ公式サイトに、以前プロモーション用に撮影しておいた宮久保の撃たれ動画三点がアップされた。動画は瞬く間にネット中で大反響を呼び、『撃たれ芸人・宮久保啓太』の名は、ネット内限定ではあるが、一夜にして日本中に知れ渡ることとなった。




 その後、各地で彼の撃たれ芸を真似するものが続出し、『ぼくのわたしの撃たれ芸』といった形で一大ブームが発生した。そんな素人動画が出回る中で、いかに元祖である宮久保の芸が素晴らしいものであるかが浮き彫りになり、その人気も一気に拡大。試しに開いた第一回単独ライブは、ドアプロ芸人として初めて前売りチケットが完売となり、閑古鳥が鳴いていたかつてのライブからは到底信じられない光景が目の前に広がることとなった。こうして生放送似非ジャックからたったの一ヶ月で、宮久保啓太は知る人ぞ知る『撃たれ芸のパイオニア』として、不動の地位を獲得することに成功した。

 しかし今の宮久保の人気は、あくまでカルト的な物。好きな人は大好きだが、知らない人は全く知らないという局地的な人気であった。お笑い芸人のライブは大抵、お客の七割以上を女性が占め、黄色い歓声が飛び交うのが一般的なのだが、宮久保のライブに集まる客は、その九割以上を男が占める。スタジオに飛び交うのは野太い笑い声ばかりで、こうした点もまた、彼の人気がある一方面に偏っているということを顕著に表している事例であろう。

 それでも当の宮久保自身は、今のマニア限定な人気でも十分満足していた。元々撃たれ芸なんて、大衆受けする芸ではない。それが意外にもこれだけ多くの人間に支持されているんだ、いわゆる一般向けのお笑いブームには乗れないけれど、これはこれでいいではないか。収入も決して多くはないが、それなりに安定してきた昨今。敢えて今から大衆人気を目指す必要などないだろう。それが今の宮久保の率直な気持ちである。

 ただ、それで収まりがつかないのは一戸である。この撃たれ芸ブームを一番喜んでいるのは、誰よりも最初にこの芸を愛した彼自身なのだが、人間とは実に欲深い生き物で、この撃たれ芸の存在を、今以上に多くの人間に知らしめたい。こうした願望が一戸の中から消えることは無く、彼の手を離れ独り立ちした宮久保とは別に、一戸は撃たれ芸の大衆化工作をたった一人で行っていた。

「いや、確かに宮久保さんの人気というのは存じ上げております。しかし前にも言いましたように、あの芸はテレビで放送するにはどうにもアクが強すぎて……」
「そこをプロデューサーのお力で何とか!」
「そう言われましてもねぇ……」

 この日、一戸はかつて出演依頼を断られた、ネタ見せ番組のプロデューサーの下を訪れていた。大衆受けを目指すには、やはりテレビの力は必要不可欠。前は足蹴にされたこの番組でも、状況が変わった今ならば何とかなるだろう。そう思って楽観的に臨んだ直談判だったが、プロデューサーから返ってきたのは、以前と変わらぬ生返事であった。

「若い女性に受けなければ、ゴールデンの番組に出るのは正直厳しいものがありますよ。こう言っちゃアレですが、宮久保さんって女性層への人気は薄いでしょ?」
「まぁ、否定はできませんね……」
「芸の内容はともかく、顔もどちらかと言うとイカツイ系ですしねぇー。残念ながらよっぽど物好きな人間しか好まないような感じで」
「容姿は関係ないでしょう」

 今の発言を侮蔑と捉えた一戸が抗議する。
 しかしプロデューサーは何食わぬ顔でこう続けた。

「いや、関係ありますよ。例えばの話ですけど、あの撃たれ芸を誰か男性アイドルがやったとしたら、それこそ黄色い悲鳴が飛び交いますよ。『キャー××クンおもしろーい!』とかそういった具合で」
「……いや、撃たれ芸は女性受けしないって散々言ってきたじゃないですか」
「ええ。ただね、そういった層を相手に番組作ってる僕が言うのもアレですけど、結局視聴者が見てるのは、芸じゃなくて演者、それも演者の容姿だけですよ」
「……つまり視聴者は馬鹿ってことですか」
「いや、そこまで言い切っちゃったらこの仕事失格なんですけどね」

 そう言って笑うプロデューサーの態度は、暗に一戸の意見を肯定していることに他ならなかった。

「大衆受けしたいのならば、結局容姿がモノを言う。芸人だろうとそれは同じですよ」
「……」

 プロデューサーの言っていることが全て正しいとは思わない。が、納得できる部分が多いことも事実。一戸は頭の中で宮久保の顔を思い浮かべてみた。

「……確かに、アイツの顔じゃ女受けは難しいな」

 肯定するのもさすがにバツが悪いと感じたのだろう、その言葉に苦笑いを浮かべるプロデューサー。そんな彼に向かって、一戸はこう続けた。

「では逆に、容姿さえよければ女性受け、つまり大衆受けするってことですね?」
「……え?」
「いや、今の話を逆に取ればそういうことでしょ。顔が良ければ少々芸が荒くても何とでもなる。今の芸能界を見ていれば妙に納得できますよ。そうですよね?」
「あ、いや、受けるかどうかはともかく、興味を持つ取っ掛かりにはなると思いますが……」
「分かりました。貴重なアドバイスどうもありがとう」

 そう言って無理やり握手を交わした後、一戸は飛び出すように控え室を後にしていった。

「……何する気だ、あの人」


 翌日。久々に事務所へ呼ばれた宮久保は、一戸からいきなり現金三百万を手渡された。

「え? ……な、何ですかこれは?」
「整形費用だ」
「せ、整形費用!?」
「あぁ。また経費の一極集中だーとか揉めたらいけないからな、これは全額俺のポケットマネーから出してある」

 突然の申し出にドッキリか何かかと勘繰る宮久保。しかし一戸はいたって真剣な表情でこう続けた。

「なぁ宮久保、お前は確かにマニアには受ける売れっ子芸人になった。でもお前はそれで満足か? もっとテレビとかにバンバン出たくはないか?」
「いや……今のままでも別に構わないのですが」
「惜しい、俺は惜しいんだよ! お前の撃たれ芸がもっと多くの人に見てもらえる機会が失われるのが。だからお前ももっと向上心を持ってくれ、な?」
「はぁ……。でも、それと整形に何の関係が?」
「テレビ映えするにはやはりそれなりの容姿が必要だ。別にお前が不細工だとは言わないが、こう、目元や鼻筋をちょいといじれば、お前もアイドル並みの容姿になると思うんだ」
「でも、だからと言って整形しなくても……」

 一戸が容姿の大切さをどれだけ説いても、今回ばかりは渋る宮久保。いくら社長命令でも、体にメスを入れるのは、よほど納得がいく説明がないと承諾することができない。それに一戸の指摘どおり、こうしてある程度売れたことで、大衆に受けたいという意識が薄れていることも事実であった。

「俺も決して今のままでいいとは言いません、でも、整形してまでテレビに出る意義ってあるんですか?」
「大衆受けするにはそれが一番なんだよ! テレビに出てどかーんって笑いを取れば、お前の実力も証明されるんだって」
「でも結局見られるのは容姿だけじゃないんですか? それだったら、数は少ないけどきちんと芸を見てくれる、今のファンの方々を大事にした方がよほどいいと思うんですが」
「あーもう分からん奴だな!」

 平行線をたどっている話し合いだが、この場合、一戸が無茶を言っていることは誰が見ても明らかである。しかし、彼も彼なりに撃たれ芸を全国に広めたいという明確な意思を持っているために、決して一歩も引こうとはしない。

「くっ……どうすれば納得してくれるんだ」
「納得って、だから整形して一体何がプラスになるのか示してくれたらいいんですよ」
「それはだから、大衆に受けるって何回も説明してるじゃ……」
「見てくれにしか興味が無いファンなんて必要ないじゃないですか!」
「いや、全員が全員そうとは限らないだろ……」

 一方の宮久保も、売れることにより己の撃たれ芸に自信を持ち、『芸人の価値はファンの数ではなく質である』と自分なりに築き上げたの哲学に基づいて、一戸の意見に同意する様子は一切見せなかった。
 そんな態度にやっと気付き、これは説得できないなと半ば断念しかけた一戸。しかし、そんな諦めかけの状態で呟いた何気ない一言が、宮久保の心を大いに揺さぶる結果となった。

「あー、整形すれば間違いなく女性人気は上がっただろうにねぇ」
「え?」

 女性人気という言葉にあからさまな反応を示す宮久保。

「ん、そりゃあ普通イケメンの方が、女の子からちやほやされるだろ。まぁお前の言うとおり、芸を見てくれているか否かは別だとしても……」
「整形します」
「え」
「やっぱり社長の言うことも一理ありますよねー。もっと世間に出て大衆に受けないと。とりあえずこのお金でできる限りの整形手術を受けてきますね」
「あ、あぁ……」

 今までごねていたのが嘘のように、宮久保はあっさりと整形を認めた。女性受けという言葉が出てきた途端にこの心変わり。所詮こいつも俗物だったかと少々寂しく思う反面、とりあえず当初の目的は果たすことができそうだという安堵感を一戸は感じ取っていた。


 それから三週間後。埋まっていた当面のスケジュールを全て消化しきった宮久保は、都内某所の整形外科へと入院した。大掛かりな手術のため、しばらくの間は経過観察が必要とのこと。そのため一ヶ月ほど、宮久保の姿は世間から消え失せることとなった。
 一戸が危惧していたのは、この空白期間に今まで着いていたファンが離れていきやしまいかということだった。これから大衆受けを目指すにしても、折角獲得した人気を手放すのはあまりにも勿体無い。宮久保本人もそのことについては一戸同様、大きな心配を抱えていた。

 しかし二人の心配は杞憂に終わる。たかだか一ヶ月という短い期間では死亡説が流れることも無く、また元々メディアへの露出がほとんど無い人間だったので、一時的に消えても、特に誰にも気付かれないというのが本当のところであった。
 そんな報告を病室のベッドの上で聞く宮久保。少々落胆した声色ながら、

「ま、これからどんどんテレビに出てやりますよ」

 と決意を新たにする。顔面には未だ包帯が巻かれておりその表情を窺い知ることはできないものの、きっと希望に満ち溢れた晴れやかな表情をしているに違いない。




 そして一ヵ月後。満を持してファンの前に現れた宮久保啓太は、全くの別人となっていた。パッチリ目立つ二重まぶたに、スラッと通った鼻筋辺り。元々長身でスタイルが良かったこともあり、男性ファッション誌のモデルだと紹介しても普通に通用しそうな色男、それが三百万円をかけて整形手術を行った宮久保啓太の姿であった。

「では、休養中に考案した新ネタ、『首筋にスタンガンを当てられ卒倒する様子』を再現しまーす。……イッ!!」

 しかし行われる芸は今までどおりの撃たれ芸で、変わったのは演者が男前になったことだけ。ここに一戸の考える『大衆に受ける撃たれ芸』は完成したのである。

 ただ、ライブ会場に集まった客の反応は今までとは全く異なったもので、皆どこか戸惑っているような印象であった。それでも一戸及び宮久保の両者は『まぁ最初はこんなものだろう』と、特に気にする様子も見せなかった。しかし、ライブの直後から事態は思わぬ方向へ展開し始めた。

「コイツ、絶対勘違いしてるよね」

 ネット上では早くも整形前・整形後を比較する宮久保の写真が出回るようになり、それに対するファンたちの反応も見られるようになった。しかし、好意的に受け止めているファンはほとんどおらず、どこを見ても宮久保バッシングの嵐。「失望した」といった類の書き込みを見る度に、せっかく綺麗に整形した宮久保の眉間には、深く八の字が刻まれていく。そしてモニタの中での反応はすぐさま現実にも反映され、宮久保ライブのチケットはピタリと売れなくなってしまった。ネットから突如火がついた撃たれ芸ブームは、その鎮火も同じくネット上で突然起こったのである。

 しかしまだ、世間一般に受けるという当初の目的が残されている。そう言って落胆する宮久保を鼓舞しながらテレビ局に出演交渉へ向かう一戸だったが、各局の反応を聞くやいなや、彼の顔からは生気が失われていった。

「芸の内容がどうにも過激過ぎるので、うちでは出演させることができません」

 整形前、それどころか撃たれ芸ブームが起きる前から全く変わらない反応。堪らず一戸は、芸人も容姿が大切だと説いたプロデューサーを捕まえて問い質した。

「アンタ、顔が良ければ多少アレな芸でもテレビに出れるよって言ったじゃないか!!」
「い、いや、僕は今の傾向としてそんな感じかなーと一般論を述べただけで、そんな整形すりゃテレビに出られるなんて一言も言ってませんよ。どこぞの美容整形番組じゃあるまいし」
「キ、貴様ッ……!!」

 思わず拳を振り上げる一戸だったが、他のスタッフらに取り押さえられ、殴ることすらままならなかった。

「逆恨みにもほどがありますよ、ホント……」

 蔑むような視線をくれた後、プロデューサーは応接間を後にしていった。残されたのは床に転がる一戸と、放心状態の宮久保の二人だけ。

「……」

 やがて宮久保もパイプ椅子から重い腰を上げ、

「……一度でもあんな馬鹿な考えを持ってしまった自分が情けないです」

 と呟き、去っていく。その背中にかける言葉が見つからない一戸、ただ一言『畜生』という呟きだけが、無駄に広い応接間の中でやけに響いていた。




 それから三ヶ月。お笑いブームも終着点が見え始めた今日この頃、芸能プロダクションドアプロは、今も弱小事務所として都内某所の雑居ビルに存在し続けていた。撃たれ芸人ブームもすっかり過去の栄華、鳴かず飛ばずな若手芸人たちの日々の頑張りで、何とか潰れずに持ちこたえている。

 結局宮久保は事務所を辞めた。その後の行方を知るものは誰一人としておらず、芸人として活躍してる話も特に入ってこないので、もうこの世界からは足を洗ったのかもしれない。

 一戸は今でもドアプロ社長として、事務所で一番大きな椅子に腰掛けている。ただ、その信望は宮久保騒動の時点で既に失われており、会社の実権は事実上専務に移っていた。一戸本人も撃たれ芸人ブームの終焉で精も根も尽き果てており、半分自棄になっているのだろう。それでも一応創業者ということで、肩書きだけの社長の座には居座り続けていた。

「……」

 今日もただ、椅子に座っているだけの時間が無意味に過ぎていく。ため息をつきながら思い返すのは、全てごく最近の記憶。撃たれ芸人・宮久保啓太のことであった。
 こうして暫く時間が経ってから考えてみると、どうにも解せないことがある。自分は何故あんなにも必死にあの男を支援したのだろうか。こんなにも心が空っぽになるほどに、撃たれ芸に惚れ込んでしまったのか。宮久保がいなくなった今、もう一度それを見て確認することは叶わない。

「……ふぅ」

 本当に人生をかけてしまったな。かつて自分が宮久保に言った言葉を思い出しながら、一戸は自嘲気味な笑みをその顔に浮かべるのだった。


 と、その時。

「社長!」

 受話器を片手に握り締めた専務が、酷く慌てた様子で一戸に声をかけてきた。

「……どうした?」
「そ、その……今、警察から電話がかかってきまして……」
「警察?」

 穏やかではない組織名に、社の代表として一応身体を起こす一戸。

「何だ、まさかうちのが問題でも起こしたのか!?」
「いえ、そうではないんですが……」
「ん? では警察が一体何の用で?」
「そ、それがですね……」

 そして動揺する専務の口から告げられたのは、全く予想だにしていなかった事態であった。

「宮久保啓太が……殺されました」




 ドアプロを辞めた後、宮久保は荒れた生活を送っていた。売れた時に蓄えた貯金は毎晩の酒代として消えていき、その貯金がなくなると、その整形された容姿を武器に、女をとっかえひっかえ食い繋いでいく。後に見つかった手帳の中には、二十人を超える女性の名前と電話番号が記されており、色男として通用していた事実が窺い知れた。

「その中に暴力団と繋がった女がいて、ガイシャはそいつに入れ込んだために要らぬトラブルに巻き込まれた、と」

 都内某所にある宮久保の自宅アパート、そこに転がる宮久保の射殺体を見下ろしながら、刑事は自身の推理を展開していた。

「よし、早速交友関係からいろいろと探ってくれ。……ん?」
「入れろ、入れてくれ! 私は関係者だ!」

 刑事が部下たちに指示を出しているところで、警備員の制止を振りほどいて一人の男がイエローテープの内側に侵入してきた。

「な、何だお前は」
「宮久保の元上司です! アイツは、宮久保はどこにいるんですか!?」

 そして刑事の足元に横たわった宮久保の姿を見つけるなり、一戸は被りつくように肢体へと飛びついた。

「み、宮久保ォォォォォォ!!」
「貴様、現場を荒らすな!」

 制服警官に取り押さえられる一戸。それでも彼は、すっかり冷たくなってしまったかつてのマネジメント対象者の名を叫び続けていた。


「で、警察からの電話で現場が事務所のすぐ近くだと知ったアンタは、居ても立っても居られなくなり、つい飛び込んできてしまった、と」
「……申し訳ありません。既に辞めてしまったとはいえ、宮久保は本当に大切なタレントだったもので……」

 ある程度興奮が冷め止んだところで、一戸は刑事に対して細かい事情を説明することとなった。自分が芸能プロダクションの社長であること、元所属タレントであった宮久保についてのこと、そして、彼の撃たれ芸のこと。被害者の身元については一通り確認済みだった刑事も、具体的な芸の内容までは把握していなかったので、それなりに興味を持って一戸の話に聞き入っていた。

「撃たれ芸、ね。皮肉なことに己が芸の通りの死に方になってしまったんだな」

 宮久保の死因は、胸を拳銃で撃たれたことによる失血死だった。死亡推定時刻は今から十二時間前の午前三時。家賃の催促にきた大家に発見された時にはもう、既に事切れていたという。

「宮久保……」

 思い出を噛み締めるように語っていた一戸の瞳には、今にも溢れ出さんばかりの涙が溜まりに溜まっていた。生涯自分が最も惚れ込んだ芸が二度と見られないのかと思うと、ただ哀しいという言葉しか出てこなかった。

 しかしその一方で、前々から思い始めていた疑念も再び浮上してくる。自分は何故、宮久保の撃たれ芸に惚れてしまったのか。頭の中で何度も何度も宮久保の撃たれ芸の映像をリピートするが、その記憶もいつの間にか曖昧なものとなっており、細かい描写などがどうしても思い出せない。おそらくもう一度、その見事な撃たれっぷりを見てみないことには答えは見つからないであろう。だが当の本人が死んでしまった今、それを確認する術は全完全に失われた。そのことも一戸を哀しい気持ちへ沈ませるもう一つの要因であった。

 と、そんな時。

「撃たれ芸……あぁ、俺知ってますよ。あのどうしようもなく下らないの」

 宮久保と同じような年頃の若い刑事が、思い出したかのように撃たれ芸をこき下ろし始めた。

「こうバーンって撃たれてうわーって倒れる気持ち悪い芸ですよね。その倒れ方が無駄に生々しくて、ネットで初めて動画見た時とか素で引きましたよ」
「な……」
「関西出身の僕から言わせれば、これのどこがお笑いやねんと思いましたねー。お前ホントに客笑わす気あるんかーとかも。へー、この人だったんだ」
「お前、仏さんの前で何てこと言うんだ!」

 先輩に頭を叩かれる若手刑事。しかしその程度では一戸の気は済まなかった。

「撃たれ芸の『う』の字も分からん素人が何を抜かすかクソボケ! お前は生で見てないからホントの良さが分かってないんだ、分かってないくせにそんな口を利くな若造がァ!」
「いや、上手いとは思いますよ、あの芸。だけど所詮は想像による演技でしょ。リアルさも正直言うほど極められてないんじゃないかなーとか思ったりね。面白くない、リアルじゃないと来たら残るものなんて何も無いでしょ」

 こいつ本当に警察官かというモノ言いの若い刑事に対して、一戸の怒りは沸点に到達した。

「なら本当の『リアルな撃たれる様子』ってのを見せてやるよ!」

 そう言って一戸は、側にいた制服警官の腰に挿してあった拳銃を奪い取り―――
 次の瞬間、若造は膝から床に崩れ落ちた。

 それは一戸にとって見慣れた光景であった。今まで何百回も見つめてきた宮久保の倒れ方を、胸部を鉛玉に貫かれた若い刑事が、真っ赤な鮮血を噴出しながら完全な形で実演している。そこで一戸は初めて、宮久保の芸がどれだけ完璧だったのかを思い知らされた。

「貴様ッ!」

 先程の比ではない強烈な力で警官たちに取り押さえられる一戸。だが本来苦痛に歪むはずのその顔には、とてつもなく満ち足りた笑顔が貼り付けられていた。

「俺が惚れたのは、本物以上に本物だったお前の完璧さだったんだな、宮久保」

 そして一戸は声を上げて笑った。心の底からの大爆笑が、二つの死体が転がる六畳間に響き渡っていた。