2月13日 日曜日。壁の時計が指す時刻は、午後1時32分。
市内のとあるファーストフード店にて、私、木下なずなは向かいの席に座った女性に悩みを打ち明けていた。
「ふーん、それでその人の好みに合わせるために、市内まで出向いてきてたんだ」
「あまり甘いものが得意じゃないって話なので」
私の隣の席に置いてある紙袋には、さっきデパートで買ってきた手作りチョコの材料が一式入っている。
「手作りねぇー、私も学生時代にチャレンジしたけど、なかなかうまく出来ないものよ?」
「それでもいいんです。一生懸命愛情こめて作りましたよってのが伝わりさえすれば」
「クゥ〜、木下、アンタ乙女だねぇ〜」
「……先生、発言がオッサンくさいですよ」
このおっさんくさいけど容姿はとってもきれいな女性は香月綾乃。私が通う高校の物理の先生だ。所属している文芸部の顧問もやってもらってるということもあり、私にとっては頼れるお姉さん的存在でもある。
そんな先生とは、先ほど街中にて偶然遭遇。『暇してる?』と言う先生の誘いで、ちょっと遅めのお昼ご飯をご馳走してもらうことに。
その席で、ついでと言ったら何だけど、私は先生に明日のことについて相談に乗ってもらっていた。
「で、そのチョコを渡す時、一緒に告白もしてしまおうと考えてるわけだ」
「はい。でも全然うまくいく自信がなくって……」
「なーに言ってんの。木下はとってもかわいいんだし気も利くしさ。こんな娘に告白されてごらん? 私だったら泣いて飛びつくね」
「そ、そんなことないですよぉー……」
そうやって励ましてもらえるのはとっても嬉しい。けど、どうしても自信が沸いてこない。まぁ、私の場合難しい恋愛でもあるしなぁ……
「ほーら、そんな暗い顔しないの。もっと自分に自信を持ってさ」
「う、うん……」
別に自分に自信が無いわけじゃない。容姿も人からはそれなりにかわいいと言ってもらってるし、性格も悪くはないと思ってる。
だけど、どうしても告白して成功する自信が沸いてこない。そんなことも打ち明けると、先生はひとつため息をついた。
「……そーとーまいってるね、アンタ。普段はこんなうじうじ悩んだりする娘じゃないのに」
「恋する乙女は辛いんですよ」
「自分で言うな、自分で」
紙コップのコーヒーを飲み干し一呼吸おいた後、ひとこと。
「よし、他ならぬ木下の悩みだ。私が一肌脱いであげますか」
「え?」
きょとんとする私の鼻先に先生は人差し指をちょこんと当てて、こう続けた。
「恋に効く魔法、かけてあげる」
甘い期待にビターな口どけ
2月14日 月曜日。
「ん? なずな、どこいくの? 荷物持って」
「ちょっと香月先生に用事があって」
「お昼は?」
「んー、向こうで食べるから。ゴメンね」
昼休みの始まりを告げるチャイムと同時に、私はカバンを持って席を立った。クラスメートからの昼食の誘いの断りを入れて、一路、物理実験室を目指す。
右手に提げたカバンの中には、昨晩、愛情をたっぷり込めて作ったハート型のチョコレートが入っている。お味はちょっぴり大人の苦味。ふと脳裏に、渡す予定なあの人の顔が浮かんだ。
「喜んでくれるかなぁ……」
「失礼しまーす」
「お、来たね?」
雑然とした室内には、白衣姿の先生が一人いるだけ。私は先生に即されるままにソファーに腰掛けた。
「お昼は? まだだったら先に食べちゃお。私もまだだから」
「そうですね」
私はお弁当、先生はパンをそれぞれカバンから取り出す。
「お茶入れるからそこのやかんに水入れてくれる?」
「分かりましたー、って、この部屋、コンロとかありましたっけ?」
「ふっふーん、そんなもの必要ないわよ。それじゃ、そこのテーブルの上に置いてくれる?」
言われたとおり、部屋に備え付けの水道からやかんに水を入れてテーブルの上に置く。
「それじゃ、ちょっと離れてた方がいいわよ」
「あ、はい」
私がその場から一歩下がったのを確認して、先生はやかんに右手をかざした。そして目をつむり、ブツブツと何かを唱えている。
と、次の瞬間。
ゴボッ!!
水泡が破裂するような音が聞こえたと同時に、やかんの口から白い蒸気があがっていた。
「……ホント、いつ見てもすごいですね」
「お湯を沸かす魔法なんざ初歩中の初歩よ。何なら教えてあげよっか?」
「ま、まぁそれはまた別の機会に……」
……これはおまじないでも何でもなく、正真正銘本物の魔法。
にわかに信じられない話だけど、香月先生はそんな魔法を操ることが出来る人なのだ。
そりゃ私も、最初に先生から『私、魔法が使えるんだよ〜』と言われた時は怪訝にも思ったりした。でも実際、今のように目の前でお湯を沸騰させたり、他にも火球をいくつも飛ばされたりしたら、嫌でも信じざるを得ません。
室内の本棚を見渡すと、物理の本や授業用だと思われるファイルなどに混じって、魔術だのMagicだのと言ったタイトルの分厚い本が並んでいる。
先生曰く、何でも現代科学の知識に昔の秘術的な工夫を適応させれば、誰でもこうした魔法が使えるようになるんだとか。まぁ、その辺の詳しいことは私には全く分からない話だけど。
魔法で沸かしたお湯でお茶をいれ、お互い昼食を頂く。
その間、他愛も無い会話には花を咲かせるものの、肝心の『魔法』の件が話題に上ることは無かった。
そうこうしてる間に、2人とも食べ終わった模様。私がお弁当箱をカバンにしまったところで、先生の方から切り出してきた。
「さてと、じゃ、まずはそのチョコを出してちょーだい」
「あー、はい、えっと、包みも解くんですか?」
「いやいや、大丈夫。包み越しでも効力に問題は無いから」
そう言って先生は、部屋に備え付けの水道で丹念に手を洗い始めた。
「指先からの発汗作用が大事だからね。しっかり洗っておかないと」
「だったら手を使わないで済むお弁当食べたらよかったんじゃないですか?」
「ま、まぁ、今朝ちょっと寝坊しちゃって。いちいち作ってる暇が無かったのよ」
「で、その……恋に効く魔法って、どんなのですか?」
洗い終わって手を拭いている先生に尋ねてみる。すると先生は、九州発の某通販番組みたいな口調で説明してくれた。
「ふっふーん、驚くなかれ。今回ご紹介するこの魔法、何とチョコを渡すだけで相手に惚れられると言う優れもの!」
「ええっ!? そんなこと出来るんですか?」
便乗して私もリアクションも通販番組の客風に大げさにしてみたけど、うち半分ぐらいは、本心からの驚きだったりもする。
「もちろん本当。ほら、よく小説とかで惚れ薬とかって出てくるじゃない。簡単に言えば、あれの効果そのもの」
「そ、そんなの出来るんですか……スゴイ。でも、どうやって?」
「チョコレートの原料であるカカオを形成する分子構造に、ちょっとマイナスイオンを作用させたりしていくんだけど、ま、詳しい理論は言っても分かんないかな」
「な、何かスゴイですね……」
普通は疑ってかかるような突飛な話だけれども、先ほども目の前で見てる以上、私は先生の魔法を信じきっていた。
もちろん、この『恋の魔法』と言うのもホントの話なんだろう。
「ただ、この効果は永続的なものじゃないんだけどね。洗脳で好きになられても、そんなに嬉しくないでしょ?」
「それは確かに……」
「なのでこれは今日一日の気休めみたいなもの。凹んでたアンタを勇気づけてあげる為だけのものよ」
「あ、スイマセン……」
「別に謝る必要なんか無いわよ。で、その後どう進展させるかは木下次第ってこと」
「ハ、ハイッ」
何か、ちょっと緊張してしまうな。
「じゃあテーブルの上にチョコ置いてくれる? うん、そうそう」
準備が整うと、先生はちょっと一服と言うことで缶コーヒーに口をつけた。
「……それはそうと、そろそろ教えてもらおうかしら、木下の想い人が誰か」
「え?」
「え? じゃないわよ。タダで魔法かけてあげるんだから、そのくらい教えてくれたっていいじゃないの」
「え、えぇー!?」
「さーさ、恥ずかしがってないでキリキリ吐く。だんまり決め込んだら自白の魔法かけるからね?」
「わ、分かりましたよぉ……」
自白の魔法なんて都合のいいものが存在するのかどうかは知らないけど、どの道黙ったままじゃいられないとは覚悟していた。けど、やっぱりいざ言えとなると恥ずかしい……
「さーてアンタのハートを射止めたナイスガイはどこのどいつかなー? クラスメートとか近所の男子と」
「……小石川良造さんです」
「ブフゥー!!!」
思わず先生が口からコーヒーを吹き出す。
「こここ、小石川って、小石川教頭!?」
「……コクリ」
「い、いや……生徒と教師の禁断の愛とか言うわけじゃないけど……マジで?」
「大マジです」
「……」
頭を抱え込む先生。まぁ、先生が驚くのも無理はないと思う。私が今片思いしている相手は……教頭も勤める小石川良造先生(数学担当)。
「……何で? 他の若い男性教師ならまだしも……何故あのハゲを?」
「ハ、ハゲとか言わないで下さい! 頭皮むき出しなヘアースタイルなだけです!!」
「いや、それがハゲって言うんだけど……。それ以上にあの人、妻も子も、もしかしたら孫がいてもおかしくない年齢よ?」
「愛は障害が大きければ大きいほど燃え上がるんですよッ」
「障害と言うか……」
友人の春香に打ち明けた時も、確か今の先生とほぼ同じリアクションだった。
『何で?』と連呼されるけど、あの光る頭、低音の響き、それでいて時折見せる温かい微笑み、その全てがどういうわけか私のストライクゾーンにはまってしまったのでどうしようもない。言わば、好きなものは好きだからなんたらかんたら?
「そういうわけだから、告白しても成功する自信が全く無かったんですよ」
「……そりゃそうだろね。小石川教頭、マジメな人だし、まず受け取ってくれないかもしれないし」
ハンカチでこぼれたコーヒーをふき取りながら先生は続ける。
「まぁ、悪いことだとは言わないけれど……、ホントに魔法かけちゃうの?」
「よろしくお願いします」
「……本気だね、その目。ま、私も一度言った手前、途中でやめるのもアレだし」
そう言って先生は、何か心に決めたって感じで改めて私の方に向き直る。
「さっきも言ったけど、魔法の効果は一日程度。その後どう進展させるかはアンタ次第……って、まぁ進展できるのかなぁ」
「その辺は頑張ります!!」
「あんまり頑張るのもどうかとは思うけど……まぁいいか」
チョコの上に両手をかざし、目を閉じる先生。いよいよ魔法をかける時間のようだ。
「……」
その様子を固唾を呑んで見守る。
と、ものの10秒もしないうちにその指先に変化が現れた。
「わぁ……」
光。チョコを覆う先生の両手から、ほのかな光が放たれている。その光はだんだんとその強さを増していき……
「ハクション!!」
「え」
先生のくしゃみと共に、まばゆい光が部屋全体にバアッと広がった。
「ッ!!」
思わず目を閉じる。が、それも一瞬のこと。物理準備室にはすぐさま静寂が戻ってきた。
「……ゴメン、くしゃみしちゃった」
「え? あれ、魔法に必要なものじゃなかったんですか?」
「まさかまさか。おかげで手元が狂って力が分散しちゃって……ちょっと失敗したかもしれない」
「え、えぇー!?」
「まぁ、多分大丈夫だとは思う。それでも十分量の力がこのチョコレートに収められたはずだから」
「そ、そうですか?」
テーブルの上のチョコレートには、特にこれと言った変化は見られない。
「このチョコ、渡すだけでその効果を発揮するようになるからね。想い人以外にあげても、その人がアンタのこと好きになっちゃうから気をつけて」
「ハ、ハイ」
私は腫れ物を触るかのごとく、慎重にチョコをカバンの中にしまいこんだ。
キーンコーンカーンコーン
「私に出来ることはここまで。後は自分で頑張りなさい」
「分かりましたッ!!」
「……しかし、ホント難儀な恋愛を選んだもんだねぇ」
「ん、何か言いましたか?」
「いやいやいや、聞こえてないなら別にいい」
「?」
「ささ、早く行った。予鈴も鳴り終わったし急がないと」
「あ、ハイ」
私は先生にお礼の言葉を述べてから、小走りで物理準備室を後にした。
2月14日 5時間目後の休み時間。
「でも凄かったよねぇー、昼休みのアレ」
「え?」
隣の席の友人、風岡春香が話しかけてくる。
「知らないの、なずな? 昼休みに何かよく分かんないけどピカーッて外がまぶしく光ったの」
「まぶしく光った……?」
「うん。他のクラスの子もみんな見たって言ってるし、校内にいたら普通は気付くんじゃないかなぁ」
先ほどの物理準備室でのやり取りが思い出される。
「い、いや、分かんないなぁー私は。ほら、香月先生のところに行ってたし。あの部屋暗くってねぇ、ハハハ……」
「そぉ? まぁいいけど」
私のつれない反応に興味をなくしたのか、春香は別の話題を振ってきた。
「でさ、やっぱりあげるの? 小石川先生に」
「う、うん……そのつもり」
「……まぁ止めはしないけどさぁ」
春香は、私が小石川先生のことを好きだと打ち明けている数少ない人間の一人だ。今日、彼にチョコを渡すということも既に知っている。
「で、ハイ」
「……何、この手は」
「チョコちょーだいってこと。最近じゃ友チョコって言うんだっけ? 何か甘いものが食べたくなってねぇ〜」
「あ……ゴメン、先生の分作るのに必死ですっかり忘れてた」
「えぇー!!」
春香の盛大なブーイング。例年なら義理や友人の分も含め結構な数を用意してたんだけど、今年はものの見事に忘れちゃっていた。
「ゴメンゴメン、明日持ってくるからさ」
「バレンタインデーに渡さなきゃ意味ないじゃない。いいもーん、なずなには私からのチョコあげなーい」
「そんなぁー、ひどいよぉー」
口ではこう言ってるけど、お互いふざけ合ってるってことぐらい分かっていた。本当に仲のいい友だち同士だから出来るお遊び。
……まぁ、私が春香の分のチョコを忘れてきたってのは事実なんだけど。
「何楽しそうにしてるの?」
「あ、いっちゃん」
そんな私達の元に、もう一人の女の子が入ってくる。
井辻可奈子、通称・いっちゃん。春香同様、私の親友の一人だ。
「聞いてよー、なずなが私の分のチョコ持ってきてくれてないんだー。薄情者だと思わない?」
「薄情者って何よぉー」
「ア、アハハハハ……」
困った笑みを浮かべるいっちゃん。彼女、どちらかと言えばおとなしめな性格で、ちょっと乗ってきにくい話題だったかな。
「と言う訳で、ハイ」
春香がカバンからかわいらしい小さな包みを取り出し、いっちゃんに差し出した。
「え、これは……?」
「いっちゃんへのチョコレート。なずなには渡さないけど」
「うぅー」
「あ、ありがとう……、何かもらいにくいなぁ」
「ま、いいからいいから」
即されるままにチョコを受け取るいっちゃん。
だが、受け取ったと同時に、その包みを見つめたまま黙りこくってしまった。
「え、どうしたの……?」
と思ったのもつかの間。
「ありがとう春香〜!!」
「うわっ!?」
突如、春香に抱きつくいっちゃん。ほお擦りまで始めている。
「ホントありがとうね、春香! もう私ホントに嬉しいんだから」
「え、あ、う、うん……」
戸惑いの表情を浮かべたまま、ガッシンガッシン揺さぶられてる春香。驚いてるのは私も同じで、いっちゃんの豹変振りにただただその姿を見ているしか術がなかった。
「これだから春香ってだーいすき! ウーン、愛してる〜」
「あ、アハハハハハ……」
キーンコーンカーンコーン
「あぁ、もう授業始まるから席に戻った方がいいよ!!」
チャイムが鳴ったのをこれ幸いと、私はいっちゃんを春香から引き剥がした。
「ん、そっか。それじゃ、また放課後ね」
「……あ、うん」
解放され、思わず床へとへたり込む春香。
席に戻る彼女の姿を見つめながら、いったい我が身に何が起こったのかうまく把握できていない模様。
「……大丈夫?」
「う……うん……」
「いっちゃん、どうしちゃったんだろう……」
「そ……そんなの分かんないよぉ……」
2月14日 放課後。
授業終了のチャイムと共に、カバンを持って立ち上がる私。
「さてと、それじゃ行ってきます」
「小石川先生のトコ行くんだ。ま、頑張って」
「ありがと。春香も彼氏にチョコ渡しに行くんでしょ?」
「う、うん。とりあえず部室の方に行こうかと……ってうわっ!?」
立ち上がった春香の背後から、ガバッと抱きついてきた人物。
「……い、いっちゃん?」
「さ、春香、一緒に帰ろ」
「ええっ!? いや、ちょっと今から用があるし……」
「いいじゃないのー、ねぇ。帰りに甘いものでも食べてこうよ、デートしてるみたいにさ」
「で、デートって……」
相変わらずいっちゃんの様子がおかしい。
「……ねぇいっちゃん、どうかしたの?」
「え、別に私は普通だよ? 変なこと聞くね、なずなも」
「あ、うん、ゴメン……」
非難めいた物が含まれた目で軽く睨み付けられる。br>
……ゴメン、春香。
「そ、それじゃ、何かよく分かんないけど頑張ってね、春香」
「えぇ!? ちょっと待ってよぉー!!」
何か逃げるように教室を出てきてしまった。春香には悪いことしたとは思う。
でも、いっちゃんの様子がちょっと怖かったのは事実。
「と、とりあえず先生探さないとっ」
でも私が動いてどうこうなる問題でもないと思い、気持ちを切り替えて私は自分の用事を優先することにした。
その後、一路職員室へ向かった私だったが、その道中に奇妙な光景を目の当たりにした。
「うぉぉー、友恵ちゃーん!!」
「逃げなくてもいいだろ〜!!」
「恥ずかしがらなくてもいいってばぁ〜!!」
「な、何だってのよあんた等は!!」
一人の女の子が、10人以上の男子に追いかけられている。
「もう、何でついて来るのよ!?」
「ハハハ、照れちゃって〜、ホントは俺のこと好きなのにぃ〜」
「どういう理屈でそうなるのよッ!?」
「嘘だぁーん、本命チョコだってくれたじゃんかー」
「ほ、本命なわけないでしょ!! 義理、義理チョコ!! それに本命をこんなクラスメイト全員に配るわけないでしょ!?」
「またまたぁ〜、俺以外はみんなフェイクなくせに」
「ん、何を言うか貴様ッ、本命はこの俺だ!!」
「バカぬかすんじゃねぇよ、友恵ちゃんが好きなのはこの俺だって!!」
「あんだとコラァ!!」
立ち止まって醜い争いを始める男子ども。
その隙に、追われてた女の子は私の横を通り過ぎ、更に遠くへと走り去っていった。
「あ、友恵さんが逃げたぞ!!」
「何!? 追え、追えぇー!!」
ドドドドドド……
男子どもも私の横を通って、彼女の後を追っていってしまった。
「……な、何?」
何が何やら分からないまま、職員室に到着。
「失礼しまぁーす……」
ガラガラガラと引き戸を開けると……そこにも奇妙な光景が広がっていた。
「朝川先生、私と結婚してください!!」
「いえ、俺とお願いします!!」
「いやいやこんな若造どもじゃなく、このわしと!!」
「え、えぇ!?」
職員室中央付近にある、英語担当・朝川仁美先生(23)の机の周りを、男性教諭数人が取り囲んでいた。
皆口々に、先生好きです、結婚してくれだのとのたまっておられる模様。そんな様子を他の女性教諭たちは、困惑の表情を浮かべながら遠巻きに見つめている。
「み、皆さん落ち着いてくださいッ、いったい何があったんですか?」
「それは先生がその秘めたる思いを込めて、私めにチョコレートを下さったからじゃないですか」
「そうですよ。俺も先生の想い、しかと受け止めましたから」
「フン、若造どもに彼女の気持ちの何が分かる。わしはその全てを理解しつくしたぞ」
「い、いや……あのチョコは義理なんですけど……」
しかし男性教諭どもは聞く耳持たず。相変わらず先生にアプローチを続けていた。
「……まさか職員室まで及んでいるとは」
「こ、香月先生!?」
いつの間にか、私の隣に香月先生が立っていた。
「及んでいる……って、何か知ってるんですか?」
「ん、あぁ……そのことでちょうどアンタを探してたところ。木下、もう小石川先生にチョコ渡した」
「え? いや、まだですけど……」
「よかった、間に合った。ま、詳しいことは向こうで話すから、とりあえずこっちへ」
「え、あ、ちょっと引っ張らないで下さいって!」
引きずられるがままにやってきたのは、お昼同様に物理準備室。
「……な、何がどうなってるんですか?」
「うん……、ちとマズイことになっちゃってね」
「マズイこと?」
「そ。簡単に言うと、さっきかけたチョコの魔法が暴発しちゃった」
「ぼ、暴発っ!?」
決して穏やかではない表現にたじろぐ私。
「あれ、魔法かける時に私クシャミしたよね。あの瞬間、本来はここにあったチョコにだけかかるはずだった魔法が一気に分散しちゃって。で、どうもその分散した魔法が校内に広がって、学校中のチョコレートにかかっちゃったみたい」
「え、えぇ!?」
そう言えば昼間、春香が何か光を見たとも言ってたし……
あ、いっちゃんも春香からチョコをもらった途端におかしくなったんだったっけ。それにさっき廊下ですれ違った集団に職員室での光景も、全部チョコ絡み。
……私、とんでもない魔法をかけてもらってたんだな。
「で、ど、どうするんですか!?」
「昼間にも言ったけど、この魔法って一過性のものなのよね。だから放っておけば自然と収まるんだけど……ま、早い内に手を打っておくに越したことは無い。そこで、木下の出番なのよ」
「え?」
突然のご指名に、事態が全く飲み込めない。
「……えーと、どういうことでしょう?」
「木下、さっきまだ小石川先生にチョコ渡してないって言ったよね?」
「そ、そうですけど……」
「この事態を収めるには、そのチョコが必要なのよ」
「ハイ?」
「詳しい理屈の説明は省くけど、その最初に魔法をかけた対象の魔力を無効化することで、分散した魔力も沈静化させることが出来るのよ」
「ハ、ハァ……」
「ま、一言で言ってしまえば、さっきのチョコを砕けばいいってこと」
「く、砕くっ!?」
砕くって、私が昨晩(それなりに)丹精込めて作ったあのチョコを?
「い、いやですよそんなことっ。アレなくなっちゃったら、もう私渡す物無いですし」
「ホント、こちらの不手際でこんなことになって申し訳ないと思ってる。だけど、それしか今すぐ事態を沈静化する方法は無いのよ」
「で、でも……」
「……まだ小石川先生には会ってないのよね?」
「え、あ、まだですけど…」
「もしかしたら先生、もう既に誰かからチョコをもらってて、今まで見てきたような状態になってるかも知れないわよ?」
「え、えぇー!?」
あ、あのダンディズム溢れる小石川先生が、職員室で見た男性教諭ども同様の醜態をどこの馬の骨とも知れぬ女に晒してる!?
そんなこと……認められる訳無い!!
「砕きます、いやむしろ砕かせて頂きます!!」
「あ、ありがと。……アンタ、ホント分かりやすいわね」
「え、何か言いました?」
「いやいやいや、何でもない。じゃ、そうと決まれば早速そのチョコを出して」
「ハイッ!! ……って、あれ?」
カバンの中を漁ってみるものの、その手にチョコレートを入れた箱の感覚が……無い。
「どうしたの?」
「……あ。チョコ、教室に置いてきちゃってるみたいです」
「えぇ!? 早く取りに行かないと!!」
「そんなに急がなくてもいいんじゃ……」
「あの魔法、別に手渡しじゃなくても効果があるから、置きっ放しのチョコを誰かが手に取っただけで、そいつアンタに惚れちゃうよ」
「そ、そうなんですか!?」
それは急がなきゃマズイ。私は先生と共に自教室へと急いだ。
「ハァ、ハァ……、よかった、まだあった……」
教室には既に誰も残っていなかった。
机の中からチョコを取り出し、ほっと一息。
「しかし……ホント、マズイことになってるね……」
こちらに来る途中も、先ほど私が見たものと同様な、チョコが原因と思われる騒動をいくつも目撃してきた私達。
学校内はある種のパニック状態、改めて事の重大さを思い知らされていた。
「そもそも私があんな魔法を使おうって言い出したのがまずかったのよね……」
「そ、そんなこと無いです! 私がうじうじした姿を先生に見せてたからこんなことになったわけで……」
「あーもう、どっちが悪かったとかは後にして、とりあえず魔法解いてしまいましょ」
「ハ、ハイ」
包装紙を手荒に破り、箱からキレイなハート型のチョコレートを取り出す。
「こりゃキレイに作ってるね……、もしかしてアンタって料理上手?」
「それなりには、って言ってる場合でもないでしょ。早く砕いてしまわないとマズイですよね」
「あ……うん、ホント、ゴメンなさいね。こんなことになっちゃって」
「いえいえ、しょうがないですって、うん」
「……じゃ、砕くのは木下がやっちゃって。私が持つと魔法がかかっちゃうから」
「あ、そうですね。……それじゃ、一思いに」
床に叩きつけて粉砕してしまおう。
そう思い、私はチョコを片手に持ち替え、床目掛けて大きく振りかぶっ
「何してるんだ君達?」
「え」
突然の呼びかけに、声のしてきた入り口の方を向くと……
「お、木下に香月先生じゃないか」
「「こ、小石川先生!!?」」
薄茶色のスーツに身を包んだ、スラッと長身で細身な初老の男性。
メガネの奥からのぞく切れ長の目に、蛍光灯の光を反射して輝く頭……、小石川良造がそこにいた。
「ななな、何で先生がここにいるんですか!?」
「何でって、普通に教師が校内の見回りをしちゃマズイのかね?」
「い、いえ、そんなことないですけど……」
「ん? 木下、何を後ろ手に隠してるんだ?」
「ッ!?」
咄嗟に隠したチョコも、あっさりと見破られている。
「どうせまたチョコレートなんだろう」
「え、えぇ!?」
「図星か。もうバレンタインだか何だか知らんが、校内中がどたんどたん大騒ぎで適わんな、全く」
「ゴ、ゴメンなさい……」
不機嫌そうに呟く小石川先生。やっぱりこのバレンタインの空気が嫌いなんだ……
じゃあ、このチョコを渡すことなんか最初ッから無理な話で……
「ただ、まぁ私も鬼じゃあないさ。今日だけは校則違反も目をつぶっておこう」
「ほ、本当ですか!?」
一転して柔らかい対応を見せる先生。このギャップが、彼に惚れた一因なんだよなぁ……
「……木下、早く砕いて」
小声でそう呟きながら、香月先生が背中をつついてくる。……でも、こんな格好な状況下でそんな話、聞いていられる訳ないでしょ。
と言うことで、
「小石川先生、このチョコ、受け取って下さいッ!!」
「え」
私は後ろ手に隠していたむき出しのチョコレートを両手に持ち直し、先生の目の前へと差し出した。
「ちょ、ちょっと木下、それ、砕いてくれないとマズイんだって!!」
背後からは香月先生からの小声の非難。でも、もはやそんなもの私の耳には届いていなかった。
「昨日、先生のために丹精込めて作らせていただきましたっ。お口に合うかどうか分かりませんが……どうぞッ!!」
「え、あ……、それ、私になのか?」
「もちろん、小石川先生のためだけに作りました!!」
「あぁ……、そ、それはありがたいな……」
当惑気味にチョコと私の顔を何べんも見比べる先生。
「まさかこの歳になって生徒からチョコレートをもらうことになるとはな……、いやいや、それじゃ、ありがたく戴くよ」
そして、先生の手がチョコレートに触れそうになって……
「……さ、させるかっ!!」
「えっ?」
次の瞬間、背後からの衝撃に私の身体は揺らぎ、それに釣られてチョコから両手が離れてしまう。
支えを失ったチョコレートはスッと私の斜め前方へ飛んで行き、小石川先生の手に触れることなく、加速度付けて地面に向かってまっしぐら。
「ああぁー!!!」
叫んでもいくら手を伸ばしても時既に遅し。チョコは誰かの机の脚にぶつかり、キレイなハート型がもろくも崩れ去っていく。
そんな様子が、私の目にはものすごくスローモーションに、いわゆる走馬灯のように写っていた。
ビシャァー!!!
「ッ!!」
チョコレートが割れたと同時に、昼休み、物理準備室で味わった以上のまばゆい光が教室中を白く染める。
だがそれもほんの一瞬のこと。光はもののの一秒もしない内に空間に溶けていった。
だけど、よほど強い光を浴びたせいか、私の目は未だ完全な視力を取り戻していない。
「うっ……、な、何なんだ今のは……」
小石川先生が何か呟き、それに対して香月先生が答える。
「い、いえ、授業でやる実験の事前準備をしてまして、ちょっと失敗しちゃいました、アハハ」
「失敗って、香月さん……」
「そ、それじゃ失礼しまーす!!」
「え、あ、ちょっと!?」
突然私は右手を握られ、そのまま強引に走らされる。
「チョコ、私のチョコレートォー!!」
「いいから早く!!」
「おい、コラ、どこへ行く!?」
「ま、また後で説明しますから〜」
「こ、コラ、だから待たんか!! って廊下は走るなぁー!!」
小石川先生の声が、だんだんと小さくなっていく。未だ目が開けられない状態のまま、私は暗闇状態で無理矢理に疾走させられていった。
「……何なんだ、一体」
「もう、絶対許さないんですから!! せっかく小石川先生にチョコを渡すチャンスだったのに!!」
「ゴメン、本当にゴメンッ!! でもああしてないとアンタ普通にチョコ渡して、そうなったら魔法を解くことが余計面倒になってたんだから」
「そんなこと知りません!! だいたい先生がクシャミをするというヘマするからいけないんですよ!!」
「な、そもそも魔法をかけますって言ったの木下じゃないの!!」
物理準備室にて口論を繰り広げる私と香月先生。ついさっきのお互いをかばいあってた空気などどこへやら。
あの時、先生が私の背中に体当たりをかましたことによってチョコレートは床に落ち、粉々に砕けてしまった。
それによって、暴発した魔法は一様の収束を見せたという。まぁ、実際に私はまだ外の様子は見てないから何とも分からないんだけど。
「うぅー、絶対ヘンな娘って思われたよぉー、もう先生に合わせる顔がない……」
「んな大げさな……」
喚き疲れて、今度はすっかり凹みモードの私。
そりゃ誰のせいでもないってことは分かってるんだけど、この何とも言えないやるせなさを発散する術を知らなくて、ただただうなだれる。
「あぁー……、登校拒否しちゃいそう……」
「……こりゃ、どうしたものか」
とその時、トントンと準備室の戸がノックされた。
「あ、はい、どうぞー」
香月先生が返事を返すと、カラカラカラッと引き戸が開かれる。
そこにいたのは……
「こ、小石川教頭!?」
「え?」
「やはりここにいたか。ったく君らは……」
室内に入ってくる小石川先生。私は合わす顔がないと俯いたままでいる。
「実験だか何だか知らないが、やったあとの後片付けぐらいはしっかりやってもらいたいものだな」
「あ……す、すいません……」
「とりあえずあの場は私が掃除しておいたから。ホント、何をやってるんだか……」
掃除……、脳裏に小石川先生が箒とちりとりを持って、粉々になった私のチョコレートを処分している光景が描かれる。
そうだよね……床に落ちて尚且つ粉々になったチョコなんか、ただのゴミだよね。
そっか、捨てられたんだ……
「とりあえず、香月先生は後で私のところに詳しい説明に来るように。分かりましたか?」
「わ、分かりました……」
そう言って立ち去ろうとする小石川先生。
と、うなだれている私の隣に来たところで立ち止まり、一言。
「……さすがに床に落ちたのは無理だが、幸いひとかけら椅子の上に乗っていてな。それだけでも食べさせてもらったよ」
「え?」
「……甘さ控えめ、ほろ苦くて私好みの味だったよ。ありがとう」
「――!!」
私が顔を上げた時にはもう、そこに先生の姿は無かった。
「……あー、アンタが惚れた理由、何となく分かる気もするわ」
2月14日、どこぞのチョコレート会社のおかげで、日本では女の子がチョコに愛を込めて男の子に渡すことが習慣付いた日。
西日の差し込む準備室で一人、先生への思いを更に強くさせていく私であった。
「先生、今からまたチョコ作りますから、もう一回魔法かけてください!!」
「懲りないのかアンタは」